どん底に落ち入る前のあなたに贈る
もし
あなたが
心理的にどん底にあると感じているなら
もし
あなたが
私、精神的におかしいかもと感じるなら
もし
あなたが
心理内科に行ってみたほうがいいのかなと少しでも感じるなら
この本をとってみてもいいかもしれない
私がしばらくそうであったから
これを読んでいるということは
実はどん底ではない
どん底の時には
何も
読んだり
聞いたりしない
外からの意見が入らないものだ
そうなる前のあなたに贈る
まずは、ただひたすら現状を理解する
今の心理状況をただひたすら自覚できる
根本的には
同じことをくどいくらい言われているのだけど
思い当たる節がありすぎて
涙は止めどなく出るけれど
自分の現状を理解できる
いや、思い知らされる事になる
次から次へと思い当たる節が出てきて
一気に読み進む
ラストが気になる小説並みに・・・
これを一通り体験すると
少なくともトンネルの入り口がわかった
うまくいけば気持ち的にトンネルを抜け出た
感じがする
少なくとも
解決に向かう筋道が示される
当時
愕然と立ち止まって
どこに向かっていいか分からなかった
その状況からは
脱出することができる
「うつ」って何?私「うつ」?ふに落ちた言葉の数々
うつ病になる人は
正直で真面目だから
ギャンブル依存症にも
アルコール依存症にも
買い物依存症にも
薬物依存症にも
セックス依存症にもならない
しかし憂鬱になる
こんなに頑張っているのに認めてもらえないという不満
それを
ストレートに表現できない
憎しみの変装した姿
環境がどんなに恵まれていても
母親の愛を求めている
心の中では助けてと
叫んでいるが
それを表現できない
周囲の人が嫌いだから
周囲の人にも
助けを求められない
助けてと言わなくても
わかってくれて
助けてくれる
そういう人を求めている
どうしたのと
声をかけてくれる愛を
求めている
でも怒りがあるから
素直になれない
マイナス思考は
愛情欲求の表れである同時に
周囲の人に対する憎しみの
間接的表現である
直面している
困難な問題を解決することに
エネルギーを向けられない
逆に自分の心の葛藤に
注意を向け続けてしまう
心が瀕死の状態
五感が麻痺して動けない
だから周りの人のために
何ができるかと考えられない
誰に助けてほしいかさえ
わからない
自分では
誰といると楽しくて
誰といると楽しくないかが
わからない
だから何をしても楽しくない
嬉しいことと楽しいことが
両立しない
矛盾している
楽しい
という体験をしていないから
何をすれば楽しいか
楽しいとはどういうことか
わからなくなっている
楽しいことを体験する能力
そのものを失った
もし
楽しいということは
わかったとしても
それをして
今持っているものを
失うのが怖い
楽しいという体験こそ
人生の土台
うつ病の人にはその土台がない
夢中になって
何かに参加したことがない
ふりをしているから疲れる
リラックスして
話していることがない
興味のない話は疲れる
興味のあるふりをしているから疲れる
楽しいという体験があり
楽しむ能力がある人は
ゆとりがある
急かされていない
楽しく生きていれば
人が助けてくれる
楽しく生きていないと
助けてくれる人が来ない
楽しい事を達成すると
その上の期待ができる
ものの教育
損得の教育
しか受けていない
食事の味もわからなくなった
本当はやりたい
本当はあれをやりたい
と思いながら
違ったことをしてきた
そして
本当はあれをやりたい
ということを
意識しなくなってくる
今していることは楽しくない
今してることはつまらない
つまらないことを
ずっとやり続け
真面目にやり続けてきた
つまらないと
愚痴を言うこともなく
意識することもなく
楽しいことが
無意識ではありながら
楽しくないことを
やり続けてきた
これをしたいという欲求を
無意識に追いやって
黙々と
つまらないことをし続けた
心理的成熟の段階を負わないで
社会的にだけ
大人になってしまった
何もしなくても
一緒にいるだけで楽しい
という人を見つけること
楽しむ能力のある人は
何でもない日常の事柄を楽しむ
それに興味があるから
いつも気が引けている
近い人にさえ遠慮してしまう
理由は怯えているから
自分は価値ない人間だと
心の底で感じているから
長く
本当にしたいことが
なかったから
本当にしたいことがあれば
人に頼むこともできる
自分のしたいことに
障害が現れれば
すぐに譲ってしまう
迷惑をかけることを恐れている
どうしてもこれをしたいという願望がない
母親の代償として
名声を求める
名声に対して
人は
無責任にすごいとお世辞を言う
過去を振り返り
どこまでが本当の自分で
どこからが自分でない自分かを考える
自分が深く関わった人を
思い浮かべ
今その人と会いたいか
その人が懐かしいか考える
会いたくないと思ったら
いかに間違った人と
深く関わってきたか
ということのあらわれ
きっとその人と付き合うのが
都合がいいから
寂しいから
家族の中で
感情のゴミ箱になる人は
社会に出ても
仲間の感情のゴミ箱になる
それはうつ病になる人
自分には
幸福になるための
本質的なものが欠けている
という
自分は幸せになれない人間
であると考える
何か欠けていると
かけているから不幸だと
かけているから
自分は褒めてもらえないと
見返りを求めるから
相手が見えなくなる
相手を見るためには
こちらの心は無
でなければならない
認めてほしい
感謝して欲しい
褒めて欲しいと
自己執着があると
相手は見えない
心の底で
相手に対して様々な要求がある
親の前では自分を悪く解釈する
それで親は愉快になる
社会との関係では
優秀な人間になる必要がある
社会に対して
この親の自慢
でなければならない
この二つの要求は
完全に矛盾している
治すために必要なことは
人の役に立つこと
頼まれないことはしないこと
満足がないことが
うつ病患者の共通した症状
自分でない自分になろうと
頑張ったのだから
自分が好きでないのは当たり前
自分の思考傾向
こんな千本ノックを受けられるのが
この本の良いところ
自分の立ち位置が痛いほどわかる
あなたは虐待を受けたのだろうか
親が厳しかったのだろうか
母親を早く亡くしたのだろうか
カイはこれら全てに当てはまる
思い当たるふし・・カイの場合

人の名前を覚えるのが苦手
子どもの時
何で遊んでるのが好きだったか記憶がない
料理を作るのは
ままごとをしているような気分
実際に食べるものを作っているという感覚がない
何十年も主婦をしているけど
買い物急かされている感じ
足早に
町中で取り扱っているだろうお店をくまなく訪れ
その中で自分の条件に合ったものを買い求める
ただその間に買い物する楽しみはない
無理をしながら
無理を顔に出さないのが美徳
と思って生きてきた
嫌いな人でも
好きですという態度で生きてきた
嫌いを隠し無理を隠し
何が何だかわからなくなるまで
必死で生きてきた
頑張ってやってもきりもなく消耗するだけ
ポジティブの罠
ポジティブに考えることが
解決方法だと信じて疑わなかった
朝起きて着替えて次にすることは
自分頑張れ
と声をかけている
コンビニコーヒー
注いでもらうこと
飲んでいること
に罪悪感を感じる
自分でも出来る事を
人にやってもらっているという罪悪感
自分のお葬式のことを考える
義務感が燃料
子どもに行ってらっしゃいと言いながら
このまま会えなかったらと想像してしまう
小さい頃
親の期待が自分のものさし
親の期待に沿う結婚をする
ここまでは選択肢がなかった
ただ
親元から離れても
親が亡くなっても
染み付いた私の価値観は変わらない
親の期待が価値観だという
自覚がなくなっていただけに
もっと悪質
子どもを持たなければならない
不妊治療を強引に勧められた時
まだ
その自覚はあった
子どもを産むからには
良い子に育てなければならない
逐一報告をして
喜んでもらうことが大事
と思っていたが
実際には
口ほどに喜んでもらっている
感じはない
ただ義務感だけがある
高学歴の子どもに育てる
というプレッシャー
子どもの手が離れた今
自分の義務が終えたと実感
子どもはフツーの子
虐待は連鎖すると聞いてから
手だけは出したくないと
踏ん張ってきた
子どもの手が離れた今
全ての価値観が総崩れ
不眠症
涙が止まらない
男性に恐怖心を覚えるという
身体症状になって現れた
ひとりぼっち
こんな症状はありませんか
社会学者 加藤諦三氏との出会い

ロンドンブーツ田村淳氏の文化放送
土曜日お昼のラジオ番組NewsCLUBに
ゲストに来られていって偶然知った
83歳の社会学者、評論家、早稲田大学名誉教授
お年で口調もゆっくり
日本放送の長寿番組テレフォン人生相談
パーソナリティを1970年代から
↑実際に聞いてみてびっくり
衝撃な生活環境の人々の壮絶な悩みが
普通のように飛び交う
ちなみにこちらはradikoでも
オンタイムでしか聴くことができません
目からウロコだった加藤先生の言葉、2つ

衝撃だった言葉
今もデスクトップにおいている
人間の唯一の義務は自分であること
人に合わせるということは自分らしくあることを捨てている
これに尽きる
すべての問題はこれに通じると実感した
そこから加藤諦三氏の本を読み漁った
そして
心理学を少し学んだ人なら聞いたことがあるだろう
カウンセラーの仕事をする人は
必ず自分も必要を感じた時に
聞いてもらえる人を探しておくと
加藤先生は自分の悩みはどうするのですかと聞かれ
学びます
その答えを聞いて???
私は今までの「学ぶ」ことの概念が
一掃させられた
先生曰く
古代から哲学者や心理学者など様々な人が
何十年も悩み書き記してきている
それをまたさらに学び
自らの悩みを咀嚼し解釈を説いている
それらを読まないなんてもったいない
先人の教え
そこに素晴らしい解決方法への糸口がある
自分の世界に「学び」を引き入れてみようと感じた瞬間
難しく考えず
先人の考えに触れてみようと
まずは加藤先生の著書から
と言っても倒れそうなくらい膨大・・・
今私ができること

行動をじっくり振り返る
頼まれていないことをしていないか
その行動によって見返りを求めていないか
私って
動機が不純
そうわかった
別に今までの行動に
後ろめたさはない
だって必然
不眠を始め身体症状が出たのは
それを理解するためだった
と今は思える